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フランス人落語パフォーマー
尻流 複写二(シリル コピーニ)
日本文化に出会ったのは?
フランスの南にあるニースに生まれました。通っていた高校に日本語のコースがあり、35年前のフランスの田舎町で日本語が勉強できるなんて珍しくて、最初は面白そうだなっていう気軽な気持ちで始めました。いつしか気がついたら日本語に魅せられ、高校卒業後も日本語を勉強したい、と思うように。高校卒業後は、ニースを離れてパリにある日本語のレベルの高い授業が受けられる大学へ進学しました。
日本に来られたのは?
フランスの大学に在学中、日本の文部科学省からの奨学金で1年間、信州大学で近現代文学を研究するため留学。1997 年の秋から福岡のフランス政府公式機関である「九州日仏学館」に勤務しました。
落語との出会いは?
大学で二葉亭四迷の研究をして落語の存在を知りました。彼は、落語にすごく影響を与えている人物で、彼の本を読んでいると、よく落語とか三遊亭円朝という単語をよく目にして。当時は、フランス語の資料も全然なくて、一体「落語」ってなんだろうってずっと思っていましたが、日本に留学中にようやく「落語」を知ることになりました。ある時、友達の家に遊びに行ってテレビを見ながらゴロゴロしていたら、日曜日の午後五時半になって…。
落語は、想像していた真面目な感じとは違って、すごく面白くてかっこいいなと思い、それから自分でもやりたいなって思いました。
落語は修行されたのですか?
僕は修行をしていないので、落語家ではなく、落語パフォーマーっていう風に活動しています。自分の性格的に上下関係とかは無理なので。この日本特有の文化が少し苦手で。なので、客席から楽しんでいればいいかと思っていました。それからは落語をいろいろ見たり、落語に関する本を読んだり、「笑点」も毎週欠かさず見たりしていました。ですが、大阪の落語家 林家染太さんに出会って僕の落語との関わり方は変わりました。東京と大阪の行き来を1 年間続け、少しずつ落語を覚えました。
落語を初めて披露されたのはいつ?
染太さんと出会った翌年201
1 年に初めて高座へ上がりました。そこから今もずっと続けてきて、染太さんと海外ツアーをやったり、世界最大演劇祭のアビニョンフェスティバルに参加したり、日本に限らず活動しています。
落語は日本語、フランス語どちらでされていますか?
普段、日本では日本語でパフォーマンスして、フランスではフランス語でパフォーマンスしています。
日本語とフランス語、それぞれ披露する時の違いは?
日本でもフランスでもできる、同時通訳のネタもありますが、フランスっぽい「雰囲気」を入れたりします。お客さんがフランス人の場合は、フランス人が持っている日本や日本人に対するイメージなどに合わせたネタを入れたり、オーディエンスに合わせて少し調整したりしています。
漫画との出会いは?
「どうらく息子」、という落語のアニメを翻訳しようと思い、様々なフランスの出版社にプレゼンをしましたが、なかなか受け入れてもれえませんでした。ところが、他に翻訳してもらいたい作品があって、やってくれませんかという依頼を受けました。その作品は、「名探偵コナン」でした。それがきっかけとなり、翻訳の仕事がスタートしました。そして、現在に至っています。
今取り組んでいる作品は?
今、同時に進行しているのは15個ぐらいのシリーズがあります。
Profile
尻流 複写二(シリル コピーニ)
1973年フランス・ニース生まれ。
高校時代より日本の古典芸能である落語に興味を持ち、日本語を学ぶ。
1997年9月に福岡に来日し、フランス政府公式機関である「九州日仏学館」に勤務。
2001年に上京し、在日フランス大使館アンスティチュ・フランセに所属。
2010年に落語家 林家染太との出会いを機に、本格的に落語を学び、2011 年に開催された「落語国際大会in 千葉」で3 位を獲得。フランス人落語パフォーマー「尻流複写二 シリルコピーニ 」として、国内だけでなく、フランスやタイなど海外でも幅広く活躍している。
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