杉原千畝氏は、第二次世界大戦中のリトアニア・カウナスで、ナチス・ドイツとソ連の脅威から逃れて来たユダヤ人難民に日本通過ビザを発給し、多くの命を救いました。
その功績を顕彰する、「杉原千畝広場 センポ・スギハラ・メモリアル(Chiune Sugihara Square AICHI PREFECTURE“SEMPO”SUGIHARA MEMORIAL)」が、同氏の母校、旧制第五中学校、現在の愛知県立瑞陵高校に2018年10月12日、オープンしました!
杉原 千畝(すぎはら ちうね)
1900-1986
※外務省外交資料館所蔵
杉原千畝氏は、1900年1月1日に岐阜県で生まれ、父の転勤に伴い1907年12月頃に現在の桑名市から名古屋市古渡尋常小学校に転入しました。その後、1912年から1917年まで愛知県立第五中学校(現在の愛知県立瑞陵高等学校)に在籍しました。
1939年9月1日、ドイツとソ連がポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発します。当時のポーランドには、300万~400万人のユダヤ人が住んでおり、1940年7月、ナチス・ドイツの迫害とソ連の脅威から逃れるため、多くのユダヤ人が日本通過ビザを求めて、在カウナス日本領事館に押し寄せました。杉原氏は人道的見地から、ビザの発給要件を満たしていないユダヤ人難民に日本通過ビザを発給しました。外務省外交史料館には、2,140名分のビザ発給リストが残っています。
杉原氏は長らく沈黙を保ってきましたが、1968年に駐日イスラエル大使館でカウナス時代に出会ったユダヤ人と再会し、その後、1985年にイスラエル政府より、自らの危険を顧みずホロコーストからユダヤ人を救った非ユダヤ人に授与される「諸国民の中の正義の人」の称号を受けました。そして、1986年7月31日、神奈川県で86年の生涯を閉じました。
杉原千畝広場 センポ・スギハラ・メモリアルでは、杉原氏が作成したビザリスト、杉原氏とユダヤ人家族のブロンズ像、杉原氏の人道的功績と生涯を紹介するパネルを展示しています。是非、若い世代の皆さんに足を運んでいただきたいと思います。
2018年10月12日(金)、駐日イスラエル大使館、駐日ポーランド共和国大使館、外務省、杉原家、ロサンゼルス・サイナイテンプル代表者等関係者を招いて開催された杉原千畝広場 センポ・スギハラ・メモリアル完成記念式典(愛知県立瑞陵高等学校内、顕彰施設)