陶芸家 加藤 令吉

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僕は江戸時代初期に窯を開いた子と背戸窯の22代目として生まれました。

幼少の頃からやきものを作る人々や完成する迄のやきものの工程を見て育ちました。
遊びと言えば、専らドロンコ遊びが常で粘土をボール代わりにして壁にぶつけてはよく叱られていました。
それでも窯焼きの際には工房のお弟子さん達が窯の余熱を使って焼き芋を食べさせてくれるので、窯場が大好きな遊び場でした。
こうやってその頃を過ごし時が経つにつれ自分の将来を考えるようになった時、ある意味で未来に対する不安と期待が入り混じった時期がありました。
悩んだ末、その時出した結論は先ずやってみよう。結論は後からついてくる。
と楽観的の意識で陶芸コースのある大学に進学しました。しかし高校時代は野球をやったり、バンドに明け暮れた時間が殆どだったので真面目に受験勉強をせずに不安を持って入学した自分にとって大学での陶芸教育は驚くほど簡単な内容でした。
実技で出てくる言葉、作業方法など大方、自宅で見たり聞いたりしたことばかりで小生意気な自分はあっと言う間に好奇心は消え、また音楽漬けの毎日に舞い戻ってしまいました。
そしてある時、亡くなった父に今の大学を辞めて違う大学に行きたいと申し出たことがありました。
その時父は一言、納得する環境は自分で作るものだ今一度冷静に考えて今の東京での生活を考えてみろ、と諭され帰京する道中であれやこれやと考えを巡らせ行き着いた結論はこうでした。
「そうだ東京にある色々な物を見て観ようと、それからは週末はあらゆる美術館や画廊、本屋などを宛てもなく歩きまわり自分にとって刺激を受けるものは何かと探してきました。
ある時不思議な魅力を持った作品に出会いいわゆるカルチャーショックを受け、一遍にその作者の虜になり、その影響受けた作品作りを始めました。ところが自ら出来ると思い込んでいたテクニックが起動しなかったのです。
そこでスタート時の慢心していた自分を恥じ基本からやり直す事としてやっとの思いで「物」を作る喜びを知りました。それが大学3年生の時でこれから現在までその心を忘れず常に新しい作品にチャレンジしています。
もちろん温故知新の教えも守り、古代からのやきもの文化もしっかり学び、意識して自分迄では常に歴史上の一員であると言う年を感謝しながら毎日制作活動をしています。
若い皆さんも大いに夢を持って、自分自身で作り上げてください。

自分が納得する考え方、行動を続けていけば必ず道は拓けます。陶芸家の僕は常に縄文時代の土器を尊厳しています。
一万数千年前に芸大も何もない頃にあの土器を作り残した彼らはまさに「アッパレ!」です。自分も将来「アッパレ!」と言われる様な作品が残せる様に毎日頑張っています。


Profile
陶芸家、日展特別会員。愛知県芸術文化選奨文化賞、東海テレビ文化賞受賞。現在名古屋芸術大学特別客員教授、東海学園大学客員教授、名古屋文化短大非常勤講師、瀬戸陶芸協会常任理事。

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