関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、慶長14年(1609)豊臣方への備えとして名古屋城の築城と、清須からの新城下への街まるごとの引越しを決定。この新たに造られた碁盤割の街が現在の名古屋の原型となり、町や橋の名前も受け継がれています。慶長15年(1610)名古屋城築城にあたって徳川家康は、加藤清正・福島正則ら西国大名20家に普請(土木工事)を命じました。これを公儀普請といいます。天守や御殿の作事(建築工事)は小堀遠州・中井正清らに命じられ、慶長20年(1615)にほぼ完成しました。尾張初代藩主として家康九男の義直が入り、以降名古屋城は御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えたという歴史背景の解説を伺いながら城内を案内していただきました。400余年前に思いを馳せながら見事に復元された本丸御殿などに感動、改めて私たちの街の名古屋城を誇りに思いました。
名古屋市 観光文化交流局
名古屋城総合事務所
所長:上田 剛
取材当日は名古屋城内を職員の方にご案内いただき、学生の質問には上田剛所長よりお答えいただきました。
観覧前に職員の方から説明を受ける取材学生
Interviewer
山口 ひより(南山大学3年)
伊藤 響(南山大学3年)
木村 真子(愛知高等学校2年)
吉田 修司(愛知工業大学名電高等学校2年)
山本 健太(愛知高等学校2年)
佐藤 唯音(瑞陵高等学校3年)
中島 美咲(瑞陵高等学校3年)
山本 健太 / 愛知高等学校2年
江戸時代の名古屋城は、現在の市役所駅(令和5年1月から「名古屋城駅」)あたりも城内だったと教えていただきました。今回、私たちも城内を歩いてみて改めてその広さに驚かされました。
Q.この名古屋城の建設にどれくらいの人が動員されたのですか?
A.名古屋城築城は、徳川家康の命によって1610年に始まり、1615年に本丸御殿を含めた建物がほぼ完成しました。築城には西国の20の大名が従事し、千石当たり1名の人員の割当がありました。20の大名の合計石高が約640万石ですので、計算上は約6,400人が動員されるはずですが、実際には、約20万人が動員されたと言われています。
木村 真子 / 愛知高等学校2年
Q.名古屋城を維持するために行っていることや、城内は掃除しているのか、またどういった掃除をしているのか教えてください。
A.名古屋城は特別史跡です。城内には多くの重要文化財などがありますので、それらの維持管理や点検等を日々行っています。また、城内には四季折々の植物があります。はき掃除などの通常の清掃以外にも庭園や植栽を維持するために、雑草を草刈機で刈り取ったり、伸びた枝を剪定しています。石垣の隙間から生えている雑草も、年間2~3回刈り取りを行っています。
山口 ひより / 南山大学3年
私自身、名古屋城、そして本丸御殿の中に入ることが初めてでしたが、精巧かつ以前と変わらぬ姿で復元されている襖絵や建築の鮮やかさには圧倒されました。特に、襖に描かれている虎や鳥の彫刻欄間が放つまるで生きているかと錯覚するような迫力には目を奪われました。
Q.名古屋城の本丸御殿の襖絵の復元模写師はどのように選ばれたのですか?
A.地元(愛知県瀬戸市)にある、愛知県立芸術大学で日本画制作を学んだ画家の方々のうち、江戸時代などの古い日本の絵について詳しい方にお願いしています。今年は約10人。1人につき1年で2~3枚の襖絵を模写しています。
伊藤 響 / 南山大学3年
Q.本丸御殿の障壁画についてのご説明の際に虎などの走獣は玄関にあり、部屋の格式が高くなるにつれて花鳥、人物と順に描かれていると教えていただきました。なぜ虎など走獣が描かれている部屋は一番格が低く、花鳥や人物が描かれている部屋のほうが格が高いとされているのでしょうか?
A.日本画のきまりがあり、最上の格が山水、次が人物、その次に花鳥、最後が走獣となっています。そのことから、一番奥の格が高い部屋が山水、入口が虎などの走獣になります。これは、「人間の俗事から離れた厳しい自然界を理想とする」という、古代中国の思想の影響を受けています。
佐藤 唯音 / 瑞陵高等学校3年
Q.本丸御殿はなぜ奥に行くにつれて鳥が多いのですか?
A.奥の建物は上洛殿という格の高い建物で、襖絵の上にも彫刻をはめ込んでいます。彫刻には、鶴や雉子など、おめでたい意味のある鳥を彫りこんでいます。たとえば鶴には長寿の意味があり、雉子は高い身分を示しています。
中島 美咲 / 瑞陵高等学校3年
Q.本丸御殿で料理を温める場所(上御膳所)がありましたが、料理はどこで作るのですか?
A.本丸御殿には、将軍専用の台所がありました。現在のミュージアムショップあたりに上御台所があり、そこで調理したものを上御膳所で配膳し、将軍が控える上洛殿上段の間などに運んでいました。
山口 ひより / 南山大学3年
Q.これから更に力を入れていきたい名古屋城の観光事業はありますか?
A.名古屋城とその周辺の魅力をさらに高め、国内だけではなく国外からの来訪者でもにぎわう空間を目指していきます。
そのため、名古屋城では、天守の木造復元事業および国指定名勝・二之丸庭園の整備を進め、江戸時代の往時の姿によみがえらせることに取り組んでいきます。
また、名古屋城周辺では名古屋城のことをより深く知ることのできる博物館を中心とした「学びと観光の総合ゾーン」の整備に向けて、検討を進めているところです。
吉田 修司 / 愛知工業大学名電高等学校2年
Q.名古屋城が地域のシンボルとして将来に亘って受け継がれていくためには何が必要だとお考えですか?
A.名古屋のシンボルであり、名古屋の街の起点となった名古屋城。市民の心の拠り所でもあります。
我々は、先達から受け渡されたこの名古屋城を確実に未来に受け継いでいかなくてはなりません。名古屋市は、このことを念頭に置き、名古屋城の保存と活用を進めています。大切なことは、名古屋城の歴史的価値を継承するとともに、その魅力を向上させること。名古屋城の本質的価値をさらに高めていくことが必要であり、その主要なものが本丸御殿や木造天守の復元事業です。
加えて必要なものがあります。それは、この街に住む皆さん一人ひとりが名古屋城を大切にしていただくこと。その想いを名古屋城に込めていくことで、名古屋城は地域のシンボルとして将来に亘って受け継がれていきます。
皆さんが名古屋城を大切に想う心。これが一番必要なものではないでしょうか。名古屋市は、その想いを高めるための様々な事業などに取り組んでいきます。
インタビューを終えて
生まれも育ちも愛知県の私にとって名古屋城はとても身近な存在でしたが、改めて歴史をはじめとする様々なことを教えていただき、名古屋城がいかに貴重で長い間愛されているお城であるかを実感しました。(伊藤 響 / 南山大学3年)
千年受け継がれる城郭を目指して
名古屋市長 河村たかし
名古屋のシンボルと言えば名古屋城です。名古屋城は、現在の名古屋の都市形成の起点となっており、名古屋のまちづくりはここから始まりました。
現在、名古屋市は、名古屋城天守の木造復元事業を進めています。名古屋城天守は、現存最大の姫路城天守を遥かに超える巨大さを誇り、日本の木造建築の一つの到達点、究極の木造建築と言われています。城郭として旧国宝第一号であったその天守は、空襲で焼失してしまったものの、戦後に市民の機運の高まりによって鉄骨鉄筋コンクリート造の現天守閣が再建されました。名古屋城天守の存在は、市民の精神的支柱であり、誇りです。現天守閣は再建から六十年以上が経過し、耐震性能の確保等が課題となっていることから、豊富な歴史資料等を活用し、外観の再現に留まらない史実に忠実な木造復元を行います。
木造天守復元事業のほかにも、名古屋城の魅力を最大限に高め、世界に誇れる日本一の城郭を目指して様々な事業を進めていますので、是非名古屋城にお越しください。そして、皆さんが住むまちの宝である名古屋城を学び、体感してください。
INFORMATION
特別史跡 名古屋城
NAGOYA CASTLE
愛知県名古屋市中区本丸1-1
☎052-231-1700
https://www.nagoyajo.city.nagoya.jp
開園時間:午前9時~午後4時30分
(本丸御殿・西の丸御蔵城宝館へのご入場は午後4時まで)
定休日:12月29日~31日、1月1日
入場料:一般 500円、小中学生 無料
ライティング/宮崎ゆかり
フォト/ミゾグチジュン
デザインレイアウト/スタジオゴブリン