2014年にノーベル賞を受賞された天野先生に教えてほしい質問・疑問を携えて、名古屋大学の奥まったところにある研究棟へ。
天野先生は、緊張する私たちを優しい笑顔で迎えてくださいました。厳めしい雰囲気はいっさいなく、ともすれば本題からはずれる質問にも、まるで兄貴のようなフランクな雰囲気でお答えくださる明るい表情が、とても印象的でした。
– profile –
名古屋大学 天野 浩教授
電子工学者。専門は半導体工学。世界初の青色発光ダイオードに必要な高品質結晶創製技術の発明に成功し、2014年ノーベル物理学賞を赤﨑勇名城大学終身教授・名古屋大学特別教授、中村修二カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授と共に受賞。1960年静岡県生まれ。静岡県立浜松西高校を卒業。名古屋大学大学院工学研究科博士課程前期課程修了後、赤﨑勇教授の勧めで博士課程後期課程に進学。1989年名古屋大学工学博士取得。名古屋大学大学院工学研究科教授を経て未来エレクトロニクス集積研究センター長・教授、同大学赤﨑記念研究センター長兼任。
過去のインタビュー記事で、人が知らないことを知るのが楽しいとのお答えを拝見しましたが、誰も知らないことを一から見つけ出すというのは、とても大変で時間がかかることだと思います。何故、それを楽しむことができるのですか。(愛知県立千種高校/山田果穂)
私は子どもの頃から人を喜ばせたり、人の知らないことを言って優越感に浸るという性質があって、その延長ではないかと思います。高校生になり大学生になってくるとレベルも上がりますし、国際会議など世界基準になると、多くの知識を持った人々が集りますからもっとレベルが上がります。でもそこで「人が知らないことを自分が発表したい」という気持ちは常にありました。それはある意味、人間の本質的なものではないかと思います。
先生は何故、工学に興味を持ち、青色発光ダイオードを発明しようと思われたのですか。(私立享栄高校/水野絵美)
高校から大学に入る時、本当は数学科に行きたかったのです。でも共通一次試験ではまったくだめで、ネガティブな選択肢としての工学部でした。でも中学時代まではアマチュア無線をしており、ある程度は工学に興味がありましたけどね。工学部の中で電気科…これは就職に有利だと言われて、何となくその気になった程度のものでした。でも名古屋大学に来て、ある教授が「工学概論」で、「工学というのは人と人を繋ぐもの」とお話になったのです。工学は人のために、役に立つためにやるものだと理解した時から考えが変わりました。工学の勉強が好きになって、夢中で取り組みました。
学部の最後の年に工学部では卒業研究というのがあります。そこで私の恩師の赤﨑先生がいくつか挙げられたテーマの中で、青色発光ダイオードというのがあって、これだ、と思いました。当時使っていたマイクロコンピューターのディスプレイがCRTで、非常に大きく不格好でした。もし青色発光ダイオードというものを自分で作ることができたら、もっとスマートなディスプレイができると考えたのです。現在のスマホや液晶ディスプレイが作れる、と思ったのがきっかけでした。
私は地球温暖化・環境破壊に関心がありますが、個人レベルではできることが限られます。また夢みたいなアイデアが浮かぶくらいで精一杯です。中学生の頃、二酸化炭素を固体化して地中に…と思いつきましたが、これも何から手をつけていいのかわかりませんでした。
青色発光ダイオードの研究もアイデアから始まり、気の遠くなるような実験回数を重ね、成功に至ったのではないかと思います。数々の実験結果を成功へと導く哲学のようなものがあれば教えてください。(三重県立四日市高校/杉山恭子)
いろいろな方がチャレンジして成功しなかったということは知っていましたが、自分が実際に取り組む段になったら、そんなことは気にしませんでした。実験自体、とても面白くてね。とても集中しました。
大学というのは3年までは本を読んで勉強する…いわゆる座学です。知識は増えますけど、それは人が既に経験したことを教えられ与えられるものでしょう。自分が経験するわけじゃありません。すると人とは違うこと、初めてのことをやりたくなると思いませんか。私はそれが強かったのですよ。教科書は、前の人たちがやってきたこと、自分はその次のことをやりたいと思いました。そんな思いを満足させてくれたのが、青色発光ダイオードの実験だったのです。
もうひとつ言えるのは自立です。自分の生活とか将来とかがかかっているわけです。すると、研究を成功させなくちゃ、という気持ちが強くなります。楽しい反面、研究の成功や、博士号を取得することは必須でした。やはり成功の基になるのは突き動かす興味と、自立して未来をつかみ取るために必死になってやることではないでしょうか。
先生は研究を進めていく中で、気をつけることや心掛けていることはおありですか。(名古屋大学教育学部附属高校/山中孝太郎)
研究というのは、ある意味では競争する部分があるわけですから、人に負けないくらい努力しなければなりません。研究を始める上でも必ず調べられることはすべて調べて準備をします。今はインターネットがあって便利ですが、私の学生時代には紙の本しかありませんでした。図書館で文献を調べてコピーし、それを読むしかなかったのです。青色発光ダイオードって窒化カリウムという材料でできているのですが、英語、ドイツ語、ロシア語関係論文をすべて手に入れて読みましたね。とにかくできることは全部して、研究に取りかかるのです。何かにチャレンジするには準備は非常に大切だと思います。
長い間、大学で学生と関わる中で、時代による学生の変化をお感じになることはありますか。(名古屋大学文学部/竹入悠渡)
なかなか難しい質問ですね。私は、基本的には学生の資質って変わってないように思うのですが─。ただ昔はおバカなことをする学生が時々いました。繁華街へ飲みに行って酔っぱらい、下宿まで裸足で帰ったというような…私なんですけどね。今は少なくなったようには思います。羽目を外さなくなったのかも…。ある意味、善悪やハラスメントなど、社会教育が浸透してきた結果かもしれません。
過度の安定志向が問題視されることもありますね。それが将来の夢をこじんまりさせるとか…。たとえば博士号を取らずに修士で満足する人が多いとか言われていますが、実は昔の方が博士課程への進学率は低かったのです。志向が変わったわけではなく、周りの国の変化と比較して、そう感じてしまうのだと思います。日本は日本のやり方や志向があるので、必ずしも海外と比較する必要はないのではないでしょうか。ただ、いいところは取り入れて、変えるべきは変えればいいのです。総論として言えば、地に足をつけた学生が増えてきたということではないかと思いますよ。
私は来年度から特別支援学校の教員として勤務するのですが、子どもたちのために一生懸命がんばりたいと思っています。先生が先ほど「人のために…」と仰っていましたが、先生は今までの経験や学生と関わる中で、今の時代を生きる子どもたちに必要な資質、能力は何だと思われますか。(南山大学人文学部心理人間学科/島田奈緒)
子どもたちの能力…年齢とともに変わりますよね。でもひとつ言えるのは、まずある程度のところまでは勉強が必要だということです。その後、必要になってくるのは、生きる力、自分で生きようとする気持ちでしょう。やはり私の場合も“自立"でした。幸いなことに家から出て自分で生活しなければならないという経験を与えてもらいました。この経験は私にとってはとても重要なものでしたね。最初は面白くて楽しくて、その次に研究を通じて将来を何とかしたいという気持ちが生まれました。あとはもう、必死になって突き進みました。
まとめてみると、ある程度のレベルまで勉強することが重要です。勉強というのは、いろいろな知識を得ることですからすべての基盤になるでしょう。それが成熟してきたら、得た知識をどう活かすか、どうやって社会に還元するかを考える段階に入ります。そして自立することへの努力。能力や適性は人それぞれですから、どんな分野で生きていくか─真剣に向き合う気持ちが大切ですね。
昨今、夢を持てない子が多くなったように思うと島田さんが仰ってましたが、環境を変えたり、いろいろな人と交わることも、自分の夢を見つける手だてになるのではないかと思います。人と交わると刺激をもらったり違う視点が生まれてきたりします。同じ年代の人たちと話をする機会を持つというのが、きっかけを作る上で大切ではないでしょうか。
是非、がんばってください。
インタビューを終えて
インタビュアたちの興味は、お話を伺っていくうちにどんどん膨らんでいくばかりでした。「時々報道されるような研究費の削減は本当かどうか」、「研究する環境についてはどうか」、「研究者というのは最初から強い使命感で突き進むものなのか、興味を突き詰めた結果なのか」、またネパールでボランティアをしているという島田さんからは、「発展とは何か、豊かさとは何か」など、様々な質問・意見が飛び交いました。
ノーベル賞受賞の偉大な先生…というだけでなく人生の先輩として、天野先生のお話はみんなの心に強く刻まれました。
Interviewer
山田 果穂 愛知県立千種高校1年
水野 絵美 私立享栄高校3年
杉山 恭子 三重県立四日市高校2年
山中 孝太郎 名古屋大学教育学部附属高校2年
竹入 悠渡 名古屋大学文学部1年
島田 奈緒 南山大学人文学部心理人間学科4年
※インタビューの感想は後日掲載いたします。