高校生の皆さん、「今の時代は大変だ。もっと前かずっと後の時代に生まれたかった」なんて思うときありますよね。テレビ・新聞やネットは「困難な問題が山積する現代。我々は何をなすべきか」といった悲愴的な問いかけに溢れています。私も「中高生の頃(80年代)は日本経済も上り調子で世の中明るかったなぁ」とか、「50年後なら難病治療、不老不死が叶い、お手軽に宇宙旅行もできるかも」とか、過去と未来に思いを馳せることがあります。
でもこの時代、敢えて良い面に目を向けるのも「あり」かなと思います。ネットとスマホの普及は、かつて全く予想できなかった便利さをもたらしましたね。知りたい情報も欲しい品物もすぐに手に入り、映画やドラマ、アニメ、音楽PVも気の向くまま視聴でき、疎遠だった旧友ともSNSでつながり合い劇的な再会が実現することも。また最先端のAI・ドローンの進化を見ると「科学技術の発展も極まったな。シンギュラリティも近い」と感じます。
もちろん明日への不安は少なくないですね。南海トラフなどの大地震、猛暑や豪雨、豪雪の遠因となる地球規模の気候変動も、人為的なので解決可能だけどなかなか難しい国家間の争いや貧困・格差の問題も、人類の叡智を結集しているのに万全の対処策や解決の見通しがいまだ定かでありません。
皆さんは、過去形でも未来系でもなく、「現在進行形」で今とこれからを生き抜くのですから、高校生活の充実を追求しながらも身近な問題から目を向け、それが個人的なことでも制度改革が必要なら行政や政治も巻き込んでみて、その結果、社会全体がより良くなったら最高でしょう。
まさに「パーソナル イズ ポリティカル」。これはドラマ「御上先生」でたびたび登場したキーワードです。あのドラマはよくできていて、とてもリアルに今の教育、「探究的な学び」の姿が描かれていました。卒業式後に御上先生が話した「君たちが…導き出した一つ一つの答えが国の大きな問題を白日の下に引きずり出した。…それはパーソナル イズ ポリティカル、その言葉の見事な具現化だった。…君たちが苦しみのなか選び取る答えはきっと弱者に寄り添うものになる」というフレーズが痺れましたね。さまざまな社会変革が今高校生の皆さんにも担えるということです。
実際、このドラマ以上に「学びの風景」が変わった学校もあれば、いまだ学制発布の1872年からほぼ変わらない学校もあります。奥行約7m×間口約9mの教室に幅約65㎝×奥行約45㎝の生徒の机が縦横に整然と並べられた中、黒板に先生が説明や例題を板書しながら授業時間の大半を一方的に話すのが伝統的なスタイル。これが最近、現行の学習指導要領の浸透や生徒一人一台端末の導入、コロナ禍でのオンライン授業の成果などもあって、ようやく変わり始めています。
でも時間がかかりそうです。「これまでこうだった」という前例を重んじる学校の風土・文化、同調圧力を変えるのは難題です。学習塾や予備校の授業改善、指導の個別化はスピーディなのに…。
まず授業で変えたいのが「板書」。板書すべき内容は事前にPC入力しておいてプロジェクターで順次投影すれば、浮いた時間を深い学びに使えます。次に生徒の習熟度に応じて科目・単元ごとに少人数指導を行うこと。もちろん、普段の宿題も夏休みの宿題も皆同じでなく生徒ごとに別々に出すように。さらに興味・関心により生徒が主体的に授業を選べるようにもしたい。そのために校内に個別ブースを並べた部屋を設け、他校や大学の多様な授業も含めオンラインやオンデマンドで学べるようにできればと。そうなるとこれからの先生の役割はチョーク&トークからむしろ、学びのコーチ・伴走者・ファシリテーターに変わり、生徒全員との個別面談と支援が大事な日課となるでしょう。
こうした学校や授業の変革を、皆さん高校生自らが問題提起して、現在進行形で担ってみませんか。

坪田 知広
