パラリンピック閉会式出演をして感じたこと。

中嶋 涼子

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私は9歳の時に原因不明で突然歩けなくなり、車椅子生活が始まりました。

車椅子に乗って初めて街に出た時に、今まで1人で行けていた階段がある場所や坂の激しい場所に1人で行けないことや、いろんな人に珍しい目で見られることが辛くて引きこもりになりました。そんな時、同級生に誘われて観に行った映画「タイタニック」を観たことがきっかけで、もう一度タイタニックを観たい、という思いから、タイタニックを11回映画館へ観に行くうちに、バリアに溢れた街に出ること、人に見られることに慣れていきました。それ以来私の夢は、自分が前向きに生きられるようになったように、いつか映画に携わって、前向きに生きるパワーを人に与えること、になりました。
それを叶える為に、18歳でアメリカ・ロサンゼルスに留学をして、大学で映画について学び日本帰国後に映画の編集マンとして、2017年まで会社員をしていました。夢は叶ったはずなのに、全然生きていて楽しくない。なぜだろう。

それは、日々通勤する中で、普通には動けないハード面のバリア、人々の視線や対応などの心のバリアでした。

アメリカ留学時代は、大学のキャンパスや街中にたくさんの障害者が当たり前にいました。街中で出会う人に気軽に、「なんで車椅子なの?」「手伝おうか?」など声をかけてもらえました。そんな環境がとても心地良くて、心のバリアフリーに溢れたアメリカ生活を7年間送るうちに、自分が障害者であることを忘れてしまいました。

日本に帰国後、就職して通勤を始めた街中では、人々が気軽に助け合うどころか、誰も目を合わさず、目があっても目をそらし、みんな必死にいきていました。
私が階段や段差などがあって困っている時に、手伝いたいけど声をかけるのが恥ずかしそうに見ている人がたくさんいました。

私は9歳で車椅子生活を余儀なくされて普通学級の小学校へ戻って以来、自分だけが車椅子の環境がすごく嫌で、みんなと違うことがすごく嫌で、カッコ悪くて、恥ずかしいと思っていました。歩けるみんなが羨ましかった。

でもアメリカで不自由なく暮らしていたら、歩ける人を羨ましがる気持ちが消えていた。
それって、社会や人の気持ちが勝手に障害を生み出しているのかもしれない。

その時に感じました。
日本には、アメリカにいた時ほど障害者が社会に出ていないことで、障害者とどう接していいかわからない人がたくさんいる。だから壁を感じる。それならその壁を自分から壊すしかない。障害者の自分をもっともっと身近に感じてもらいたい。車椅子や障害者のイメージが、少しネガティブで、自分とは遠い存在だと思っている人に、もっと身近でカッコよくてポジティブなイメージを持って欲しい。
そうすれば、少しは興味を持ってもらえて、どこかで接する機会があった時に、気軽に接してもらえるかもしれない。

それ以来、車椅子の自分をもっと身近に感じてもらえるような活動をしたい、そう思い、会社を辞め、車椅子インフルエンサーとして活動をする決意をして2017年に映画会社を退職しました。
その時に、会社の先輩には「インフルエンサーになって、いきやすい社会を作る活動がしたいんです」「パラリンピックに携わる仕事がしたいです」そう宣言しました。

それから4年後。
YouTubeや講演会、メディア出演などの発信活動をいろいろと経験し、車椅子でもいろいろなことができる可能性を発信し続け、パラリンピック閉会式に出演することができました。
夢だった映画の仕事をやめ、日本がもっとマイノリティの人たちにとっても生きやすい社会になる為に発信活動をするという選択をしてよかったと心から思いました。

パラリンピック閉会式で車椅子ドラムを使ってパフォーマンスをさせてもらいました。初めは、車椅子でタイヤについたドラムを叩く姿はとても不格好でしたが、何度も何度も練習を重ね、どうやったらカッコよく見えるかを追求しました。結果、本番ではみんなが一致団結をしてとてもかっこいいパフォーマンスができたと感じています。車椅子でドラムを叩く姿が全世界にながれ、車椅子のパフォーマーがかっこいい!と思ってもらえたと感じた時、ずっと思っていた夢に近づけた気がしました。
「車椅子、障害者のイメージをカッコよく見せることで、ポジティブで身近な存在に感じてもらいたい」その夢に少し近づけた気がして、本当に嬉しかったです。
夢を諦めずに持ち続け、その夢をかなえる為に小さな目標や夢を叶え続けること、いろいろなことを一歩踏み出して挑戦してみることの大切さを改めて感じる機会でした。

私は、9歳で突然歩けなくなり、障害者となり、一時期は夢も希望もなくなり引きこもりにもなりましたが、映画という存在に救われ、映画を見に行く為に一歩踏み出して映画を見に行ったこと、夢をかなえる為に一歩踏み出してアメリカに渡ってみたこと、映画の編集マンとして夢を叶えながらも生きづらさを否めなかったから、一歩踏み出して会社を辞めて発信活動を始めたこと、いろいろなことに挑戦しながらも全てが初めてでうまくいかず、自信が持てなかったけれど、いろいろなことに挑戦して発信活動を諦めなかったこと、全てに意味があり、繋がり、目標を叶えられる可能性を感じる一つの結果がパラ閉会式でのパフォーマンスでした。

みなさんも、社会に出て、心が折れそうになることや、諦めそうになることがたくさんあると思いますが、目標や夢を小さくてもいいから持ち続けることや、何かやってみたいと思った時に、躊躇わずに勇気を出して一歩踏み出してみると、その先には新しい世界があり、人生が変わっていくことを、是非覚えていて欲しいです。

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  • 名古屋経済大学高蔵高等学校合気道部

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