七本指のピアニスト

西川 悟平さん

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僕の仕事は、ピアニストです。

日本だけではなく、アメリカやヨーロッパをはじめ、世界中で演奏活動をしています。でもピアノを初めて習い始めたのは、高校1年生の時でした。それまでは、楽譜も読めませんでした。

ピアノを始めてからは、毎日毎日ヘッドホンで弾けるようになりたい曲を、目をつむって聴き続け、頭の中で既に自分がそれらの曲を弾ける様になっているイメージを続けました。それと並行して、ピアノの練習も毎日毎日続けました。
始めのうちは、自分の実力と理想の演奏が天と地ほど差がありましたが、理想の演奏をイメージしながら、猛練習を続けて行くうちに、次第にそれらの曲が弾けるようになって行きました。そして、大阪音楽大学短期大学部のピアノ科に進む事が出来ました。でも、4年制大学への編入試験は、ことごとくスベりました。今思うと、編入試験の時は、猛練習はしていたものの、頭にイメージが出来ていなかった事が、失敗の原因だと思います。

その後、僕は和菓子屋さんに就職します。和菓子を売りながら、ピアノの練習は続けていました。そんな中、アメリカ人ピアニスト、デイビッド・ブラッドショー氏の前で演奏するチャンスがあったのですが、あまりに緊張してボロボロでした。
するとデイビッド先生が、「確かにミスタッチのある演奏だったが、とてもドラマティックだったよ。良かったらニューヨークへ来て、一緒に勉強しないか?」と言って頂き、1999年5月に、僕は一人でニューヨークへ渡りました。
最初の2年は順調でしたが、次第に両手の指が、内側に曲がるようになって行き、「局部ジストニア/神経性運動障害」と診断され、「2度とピアノを弾けるようにはならない。」と5人の医師から宣告されてしまいました。とても落ち込みましたし、ニューヨークのど真ん中で、八方塞がりになりました。

ある日、友人が経営するコネチカット州にある幼稚園に訪れた際、子供達に「何か弾いて。」と言われましたが、曲がった指を見られたくなくて、気乗りしませんでした。右手3本、左手2本の指だけ使えました。
でも、それで「キラキラ星」を弾いたら、子供達が歌って踊ってくれたんです。曲がった指を気にしていたのは、僕だけでした。
その瞬間「動く指だけで、弾き続けよう!」と決めます。「5本指しか動かない。」から「僕には、まだ5本指動くんだ。ゼロじゃないんだ。」と思う様になりました。

あれから約20年近い時が経ち、2021年に開催された東京2020パラリンピックの閉会式で、162カ国同時生放送、2億5千万人が視聴する中、国立競技場のど真ん中で、グランドピアノを演奏し、僕のソロの演奏に合わせて、聖火が消え、花火が上がり、パリ オリンピックへの橋渡しの役を頂きました。

高校生の皆さんへお伝えしたい事は、これから色々な試練があるかも知れませんが、全てが未来への肥やしになると思って、前向きに頑張ってみて下さいね。そして、疲れた時は、思いっきり休んでみて下さい!


Profile

西川 悟平

1974年大阪府生まれ。
ニューヨーク、カーネギーホールをはじめ世界各国の会場で聴衆を熱狂させているピアニスト。15歳からピアノを始め、24歳で米国デビューし、成功を収める。輝かしいキャリアの中、突如 神経性運動障害 「ジストニア」と診断されるが、現在もリハビリを続け、左手2本指 右手5本指の7本指で国際的に演奏を続けている。
東京2020のグランドフィナーレでは、大トリを務め、その模様は162カ国で生放送された。2022年、自身の半生が舞台化され「7本指のピアニスト」と題され上演される。エグザイルの松本利夫が、西川役を演じた。

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